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記憶 [日常]

7月28日は青森空襲の日だそうである。

私の父は昭和15年生まれなのだが、青森空襲はわりと鮮明に覚えていると言う。
日頃とぼけた親父だし、当時5歳のガキが果たしてどのくらいの事を体験し、覚えているの
やらと、息子の私は長らく懐疑的に思い、話を聞かずにいたのだが、子供ながらに強烈な
体験だったのは事実だろうから、今度きちんと体験談を聞いてみようと思う。

戦争に限らず、大災害や大事故などが起こっても記憶というものは風化するものである。
止むを得ない事だとは思うけれど、何とか「言い伝え」の類で後世に残せないものだろうか。

私がガキの頃、家の裏手で、青森空襲の際の不発弾が掘り出された。
焼夷弾ではなく、250キロ爆弾というやつであって、爆発すればうちは吹き飛ぶ範囲内で
あったのだが、当時小学6年の私も、昭和21年生まれの母も、何しろ戦争を知らないので、
「ふーん」てな感じでしかなかったのだが、親父は深刻な顔をしていたし、町内のお年寄りが
ショックで、二人ばかり亡くなったという話を後で聞いたから、知っているのと知らないのと
ではこうも受け止め方が違うのかと思ったりした。

中学で「戦争は体験しない者にこそ快し」という格言に触れ、以来、胸に刻んではいるのだが。
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金刀比羅宮 [旅行]

土讃線で土佐から阿波をかすめて讃岐に下りて来ると、まもなく前方に象頭山が現れ、
琴平駅に着いた。
知った風な口調で書いたが、私は今まで琴平には「ことでん」でしか来たことが無い。
JRの駅で降りるのも、土佐側から抜けて来たのも初めてなのだが、象頭山は何度も
見ているから間違えようがない。

琴平駅はなかなか風情ある駅舎なのだが、駅名のネオンみたいな看板が気に入らない。
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一昔どころではなく、ふた昔も三昔も前の温泉のホテルみたいである。
まあ、夜に来たことがないから、どういう風に光るのか知らないけども。

駅の売店に小さい手提げのバックがあれば買おうと思っていたのだが、見当たらない。
帰りは「ことでん」だから、琴電琴平駅のコインロッカーに荷物を置くので、財布や
iPodを持つバッグが欲しかったのだけれど、無いものは止むを得ない。
参道の土産物屋ではこういう物は売っていないので、お賽銭や御守のお金をポケットに
突っ込み、金刀比羅宮には手ぶらで登る事にした。
15時過ぎの一番暑い最中に、奥社まで1368段の階段を登るので、サイクリングですでに
大汗をかいているのに、さらに濡れるはめになるから手提げが欲しかったのである。
だからお金は札ではなく硬貨だけを何枚もポケットに突っ込み、タオルを首に掛けて
登ったのであるが、土佐の中村は曇っていたのに琴平は雲が少なくて、本社や奥社から
讃岐富士がスッキリ見えたから、カメラを持ってこなかったのは大失敗であった。
一応、、奥社から撮った写真を上げておくが、雲が多いとパッとしない。
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15時過ぎから登り始め、毎度のお断りだがハゲメタボ中年であるから汗の塊と化したが、
奥社まで登って、琴電琴平駅に戻って来たら16:20であった。
私は運動不足解消のレクリエーションとして、自ら好きでやっているけれど、他の人に
金刀比羅宮参拝の所要時間を訊かれても何とも答えられない。
785段の本宮で帰ってしまう人が殆どであって、奥社まで行く人は極めて僅かな数だから
それなりの覚悟が要るという事は申し上げておく。

アイスを食べながら待っているうちに、やがて36分発高松築港行の改札が始まった。
2両編成の列車であるが、ことでんはワンマン運転では無く車掌が乗っている。
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標準軌間をゆさゆさ揺られ、途中の円座駅で降り、高松空港行のバスに乗り換えた。
このまま帰っても良いのだが、汗を流したいから、今晩は空港手前のホテル泊にしてある。
電車やバスから田んぼを見ると、土佐では8月には稲刈りが出来そうであったが、讃岐は
まだまだであって、日本は広いなと思う。

ホテルの大浴場で汗を流した後、夜からは池上彰さんの選挙特番を視た。
選挙の結果は予想通りだったけど、高松でテレビ東京系が視れたのが驚きであった。

♪船が着く町高松に 今日の泊まりは決めました・・・
佐々木新一「あの娘たずねて」の歌詞であるが、せっかく高松に来たのに、船も見ず帰る。
なに、高松だけでなく、松山も宇和島も高知も素通りであったが。(了)

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お祭り [日常]

日曜日は羽田神社の祭禮で、神輿が羽田の町内を廻るのだが、
私はどうもお祭りが苦手な性質で、いつも避けている。
ガキの時分から、こういうものはどうも楽しめないのである。
多分に損な性格であって、こんな奴が結婚したって円満な家庭が
営めるはずが無いと、初めから分かっているから、結婚願望もない。

時々、自殺を考えるのだが、私自身は構わないけど、まだ両親が
元気でいるから躊躇する。

昔はよく母親に「生んでくれと頼んだ覚えはねえぞ」と散々言ったが、
自分が親になってガキにこんな事を言われたら何と答えるのか。
未だに分からない。

ところで。
「御輿は軽くてパーがいい」
という、素晴らしい名言がある。
良くも悪しくも、極めて日本的な考えだと思うのだが、外国にもこんな
言い回しはあるのかしら。

鎌倉幕府の末期は、天皇や将軍や執権がいるのに、得宗の専制に
なってしまった。
日本人でもピンと来ないが、この辺り、日本史を研究する外国人が
もっとも理解し難いところだろう。

「御輿は軽くてパーがいい」が、イザという時には助けてくれるという
都合の良い神様を、とりわけ日本人は求めている様な気がする。
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二日目 [旅行]

三里沈下橋遠景
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7/21(日)。私はどこへ行っても眠りが浅いので、早朝に目が覚めてしまった。
風疹で寝込んだ時は、解熱剤やら睡眠薬やらを多用したからそれなりに眠れたのだが、
どこで泊まっても、ぐっすり良く寝たという事が無い。
最近は睡眠薬の大量摂取でそのまま起きなくてもよいかなと、時々考えたりする。

7:30過ぎにホテルを出て、まずは一條神社にお参り。
旅の安全を祈り、もう二度と来ないから、ご当地への別れの挨拶をした。
この後は、四万十川の河口までサイクリングした後、金刀比羅さんに詣でる予定である。
軽く書いたが、我ながら無茶なスケジュールだと思うけど、好きなものは仕方がない。

8:30。観光協会が開くと同時に自転車を借りた。
本当は行きたくないのだけれど、昨日の自転車をまた借りれば、丁度良い高さにサドルを
合わせておいたから、手間が無いはずである。
相変わらず無愛想な対応であったが、昨日の今日だし、分かっているからもはや諦めた。
自分達の住む町を、観光客に笑顔でアピールしようという姿勢のカケラも無い。
観光協会のくせに、無愛想な奴ばかり選ったのだろうか、実に不思議な事である。
きっと土佐の中村は高名だから、観光客がどっさり来て、殿様商売が出来るのに違いない。

川べりを下田港まで下り、平野のサーフビーチにも寄ったから、観光協会に戻るまでには
20kmは走ったと思うが、楽しい事は疲れない。
曇天だったのであまり写真は撮らなかったけれど、展望台から見た太平洋は雄大であった。
津波対策をしっかり立てて頂き、その時が来ても、なるべく犠牲者が出ない様にただただ
祈るばかりである。
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自転車を返却し、中村駅から特急に乗った。
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私は琴平駅で下りるのだが、この特急は高知止まりなので、琴平へは同じホームの対面で
待っている岡山行きに乗り換える。
昨日乗ってきた土佐くろしお鉄道中村線を戻り、窪川から土讃線に入る。
高知までは相変わらずの低乗車率で、客を拾おうと特急のくせにこまめに止まるのだが、
あまりお客は乗って来なかった。
私自身は隣に気を遣わずに車窓から景色を見ていたいからそれでいいとしても、経営的に
いかがなものだろうかと心配になる。
だからこそ、観光協会その他の関係者は、観光客にまた来たいと思わせねばならぬのに、
少なくとも私は一條神社に「二度と来ません」と宣言しちゃったし、この駄ブログを読み、
あるいは旅行の方角を変える人があるかも知れないから、なるべく愛想は良い方がいい。

中村から琴平まで行く間、決して標高は高く無いのだろうが、山また山の中を線路は縫い、
もちろん、海沿いの区間もあるにはあるのだが、広い平地と呼べるのは高知市南国市周辺
だけで、後はほとんど山がちな所を進んだ。
吉野川沿いの大歩危小歩危渓谷の辺りでは、よくこんな所に鉄路を拓いたと感心している
うちに阿波池田駅に着いた。
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阿波池田では下りないし、高校野球には興味も無いが、池田高校の蔦監督がうちの高校に
講演にいらしたのを思い出した。
県立の池田高校を甲子園の強豪にした手腕は凄いが、青森と違い、日は長く雪も降らない
だろうから、西日本の方が強豪校が多いのもむべなるかなと思ったりした。
昨日、沈下橋から飛び込んでいた子供達がみな、日ハムの中田翔選手の様に見えたのは、
体育会系では無い私の偏見であろうが(笑)。
(つづく)
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観光協会 [旅行]

窪川から中村行の普通列車に乗り換えた。
JR予土線は窪川の一つ手前の若井駅から「土佐くろしお鉄道」に乗り入れる格好
になっている。
ならば若井で下車し、普通に普通列車に乗れば良かったではないかと思う向きも
あるかも知れないけれど、窪川でトイレを借り、かつ、始発から乗ろうと思った
ので、宇和島から窪川までの切符はちゃんと買っておいた。
本当なら松山→(北宇和島)→(若井)→窪川の切符を買い、北宇和島⇔宇和島
を別に払ったほうが安かったのかも知れないのだけれど、少しばかりの逓減率を
気にするくらいなら、そもそもこんな旅はしない(笑)。

14:00発の中村行は、私ともう一人の女性が乗っているだけで発車した。
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今日乗った列車は予讃線といい、予土線といい、土佐くろしお鉄道中村線といい、
空き過ぎであって、少し暗然とする。
一時間足らずで中村に着いたが、一両だけのディーゼルカーで延べ一桁の客しか
運んでいない。

中村駅から観光協会に行った。
沈下橋を見たいので自転車を借りようと思い、前もってリサーチしておいたのだが、
「ごめんください」と中に入ったのに、「いらっしゃいませ」も何もない。
惚れ惚れする様な、アッパレな愛想の悪さであって、逆に感心してしまった。
気だるそうに出てきた女性職員に「自転車を借りたいのですが」と言うと、無愛想に
申込用紙を出し、外にある自転車を選べという。
自転車を選ぶと「そちらの割引券です」と言い、何か紙をくれて、それっきりである。
「地図か何かありませんかね」と聞くと、そこにあるのを適当に持って行けと言う。
十歳若ければ、テメエらふざけるなとタンカを切ったはずなのだが、四十を過ぎたし、
旅行先で怒ったって仕方が無いので、そこはぐっと我慢した。
きっと私の人相風体が著しく賎しいのを見て、大した客じゃないなと一瞬で見抜き、
無愛想な態度になったに違いなく、大した眼力の持ち主が揃っているなと感心した。
他の客には同じ様な接し方ではないだろうとは思うけれど、この後、まず立ち寄った
一條神社で、飛行機代タクシー代列車代と、安くないお金を遣いたどり着いた当地で、
なぜこんな目に遭わねばならぬのかと土佐一條氏累代に思わず愚痴ってしまった。

気を取り直して、沈下橋を見に行く。
三里沈下橋まで22.5kmだそうで、普通は「どちらに行かれますか」くらい聞きそうな
ものだけれど「適当に持って行って」で貰った地図にそう書いてある。
風疹明けで体力には自信が無いが、しまなみ海道と違い、アップダウンは無さそうで、
何しろ借りたママチャリには変速が付いていなかった。

日差しが痛いが、川べりのサイクリングは大変に気持ちが良い。
思わず鼻歌が出るが、川べりで「港町十三番地」というわけにはいかない。
中村と言えば、まず思いつくのは「おーい中村君」であろう(笑)。
くだらない唄を、伸びやかな声で唄う若原一郎さんを懐かしみながら、
♪おーい中村君 ちょいと待ちたまえ いかに新婚ホヤホヤだとて ・・・
と唄っているが、誰ともすれ違わないうちに、まず佐田の沈下橋に着いた。
ここは観光客がわりといる。
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三里沈下橋へ向かう道は、急に寂しい道になり、林や竹薮の暗がりの坂道を走る。
強い日差しとはうって変わって暗がりはヒンヤリするから、ギャップが面白い。
坂を上ったり下りたりしたら三里沈下橋に着いた。
ここには観光客はいなくて、地元の若者達だろうか、沈下橋から川に飛び込んでいる。
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私は臆病だから、二十歳若くても出来ないだろうと変な所で感心した。

きれいなトイレがあったので寄ってみたら、蛙さんがいた(笑)。
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落語家も人数が多いわりには「柳家かゑる」を継ぐ人がいないのが不思議である。
今の馬風さんが二つ目になった際、かゑるを名乗り、彦六の正蔵師匠に挨拶に行ったが、
正蔵師匠に「なにぃ、けえるだとおぅ~」とドヤされやしないかとビクビクしていたら、
色紙に「加恵留」と書き、いい名前だ、頑張りなさいと励まされたといういい話がある。

帰りにまた佐田の沈下橋へ寄り、観光協会には17:15に着いた。

17:30までだそうだから、半公務員的な人達を残業させるわけにはいかぬ。
「自転車を置いておきました」と声を掛けたら「分かりました。では結構です」との事。
観光協会だか、役所だか病院だか分からない。

駅前のホテルに投宿。
さて晩飯はどうしようかと思ったら、さっき貰った紙切れに「飲食代10%OFF」とある。
こんな仕打ちを受けて、誰が使ってやるものかとムカムカっと腹が立ち、グシャッと
丸めて、ゴミ箱に捨ててしまった。(つづく)
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トロッコ列車 [旅行]

風疹その他、いろいろあってくさくさするから、旅行に出掛けた。
7/20(土)。まず羽田から松山まで飛行機に乗る。
天気が良くて、知多半島から神戸や来島海峡大橋までくっきり見えた。
私は写真をiPod touchで撮っているのだが、こういう時に限って、いつも
すぐに取り出せる様な体勢ではないので、いつも撮りそこなってしまう。

松山空港からタクシーで松山駅に行き、宇和島行の特急列車に乗る。
2両編成のうち、1両目の半室しかない指定席の乗車率は極めて悪かった。

今日は予土線のトロッコ列車「清流しまんと2号」で四万十川を眺める。
宇和島駅では一時間の待合せだったが、トロッコ列車の指定券を買ったり、
何年ぶりかの宇和島駅頭でウロウロしているうちに改札が始まった。
予想はしていたが、予讃線の特急が遅れ、接続待ちのこちらの列車も少し
発車が遅れたが、私はこれが嫌で松山でタクシーに乗ってまで一本前の
特急に乗り、一時間待ったのである。
一日に数本しかない予土線に特急が接続しないはずは無いのだけれど、
特急が11:30に着き、予土線が11:32発では余裕が無さ過ぎる。
階段は無いが、特急の着く1番線から予土線の3番線にはちょっと歩くので
お年寄りには大変だろうと思った。
ましてや私なぞ一見観光客においておや、である。

清流しまんと2号はディーゼルカー一両に貨車改造?のトロッコを連結した
珍妙な編成であって、トロッコには決められた区間だけ乗れるとの事らしい。
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ディーゼルカーはバケットシートのロングシートの1/3くらいの乗車率である。
後方に「民話がたり」の幟を持ったおばあさん達がいて、列車が動きだすと
何やらあれこれ語り始めたが、この辺りの予土線は路盤も線形も悪いから、
列車はゴトゴトギシギシギッタンバッコンと騒音を出しながら進む上に、
語っているおばあさん達もプロでは無いので、実に聞きづらかった。
それでも、慣れてくると比較的声の通る人の話はだんだん理解出来る様に
なったから面白いものである。

「三間町には108箇所ため池があり、温かい水で作ったお米はおいしい」
「土佐側から度々、米を強奪された為、早く刈入れをする技術を工夫した」
等々、私は歴史好きだから、なかなか興味深い話であって、確かに、この辺の
田んぼはまだ7月というのに、もう米が取れそうな勢いであった。
元々農家の出ではない上に、長年の東京暮らしで日頃田んぼには縁が無い。
その上、8月には刈れるというのは津軽出身の私には二重に驚きであった。

鈍足な列車なりに、景色を見て、おばあさん達の語りを聞いているうちに、
いつの間にか高知県側に入り、江川崎駅を過ぎた。
途中から、トロッコ乗車が目的と思われる親子連れが何組も乗って来たが、
それでも空席がずいぶん多かった。

江川崎の次は半家駅である。
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私は以前、高知側から予土線で半家で降り、江川崎駅まで四万十川べりを
歩いた事がある。
だから、線路としては半家江川崎間は未乗区間だったが、今回は逆からだが
未乗区間を乗ったので、予土線完乗という事になった。

江川崎駅からは昭和40年代の開通なので、それまでの軽便鉄道(笑)から、
普通にスイスイ走る様になった。
十川駅で案内があり、トロッコ車両に乗り移る。
こんな感じの↓、窓の無い、きわめて開放的な車両であるから、雨天の際には
乗れないのだそうで、お天気で良かった。
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大変暑かったけれど、景色は良いし、トンネルの中は涼しいしで、実に面白い。
あっと言う間にトロッコの乗車区間が終わり、土佐大正駅で元の車内に戻った。

民話のおばあさん達や親子連れがいなくなり、空いたまま終点窪川駅に着いた。
宇和島から2時間20分。大変楽しい列車の旅であった。(つづく)
タグ:予土線
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期日前投票 [日常]

久しぶりに会社に出たが、まだ本調子では無いし、高熱による関節痛と運動不足で
今日は一日いろいろ難儀した。
こう書くと「あんた、会社で調子が良かった事なんてあるのかね」と言われそうだが、
無いから出世しないし、もとよりするつもりも無いが、これまでは会社の汚い部分を
あまり見ずに済んでいる。

世間にはブラック企業という言葉があって、いろんな企業の名が出ている。
今日は会社帰りに期日前投票を済ませてきたが、大田区の羽田特別出張所へ
行くのに、ブラック企業と名指しされる会社の真ん前を通った。

程度の差こそあれ、ブラックな面のある会社をピックアップしたら、日本中の企業が
ノミネートされるかも知れず、では「あそこはブラックではないですよ」と皆が太鼓判を
押す企業がが果たして今の日本にいくつあるのかしらと考えたら具合が悪くなった[がく~(落胆した顔)]

比例はいつも共産党と決めているが、選挙区は、有象無象といえば大変失礼だが、
どっさり20人も出ているから、「どれにしようかな神様のいうとおり・・・」で決めた。
定数5のうち、ほぼ4人までは確定だろうから、最後の一人となりそうな候補者に
指が当たったので、まあ、こんな決め方もアリだと思って投票して来た。

猛暑が続いた先週は医者に行った以外は外に出なかったから気にしなかったが、
今日はわりと涼しかった。
気が付けば、早くも7月16日で、ボヤボヤしている内に、夏も終わってしまう。
タグ:期日前投票
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無題 [日常]

先月、帰省していた折、トルコやブラジルのデモのニュースを見ていた母が
こんなザマで、オリンピックだのワールドカップだのができるのか、と言う。
「昔の安保闘争やら学生運動とか成田空港とか、海外ではどう報じたのかね」
と私が返したら、母は笑ったが、或いは皮肉屋の息子に呆れたかも知れぬ。

人間は自分の事を棚に上げ、他人の事は幾らでも悪く言える。
元総理の「イヤンバカンスッカラカン」氏はその典型だろう。

フランスの脱線事故のニュースを見て、鉄道とか飛行機の事故はどうも連鎖
する傾向があるので気を付けねばならぬが、乗ってしまえば俎板の鯉だから、
せいぜい、自分の乗った電車が事故に遭わぬ様に祈るだけである。

鉄の塊が、鉄の上を滑ったり、空を飛んだりするのは危険だから、飛行機も
鉄道も止めましょうと叫ぶ人がいれば、その人はまことに正しい人なのだが、
正しすぎて、ご高説を聞かされるこちらがたまったものではない。

以前、外部研修で同じ班になった銀行員が、しきりに喫煙の有害なるを説き、
同じ班の喫煙者を糾弾していた事があった。
私は吸わないので、初めは知らん顔をしていたけれど、こいつの言う事に
段々、腹が立って来た。
「まあまあ、世の中、吸う人も吸わない人もいるのだし・・・」
と仲裁に入ったら
「あんたはどっちの味方だ。これは時勢だ。私の言っている事が正しい」
と仰る。
もとより、どちらの味方でも無いが、自分が正しいとほざく奴は嫌いである。
「やい、あんた銀行員の立場で、取引先の社長さんとかがタバコ吸ってたら
やはりそういう口調で糾弾しているのかね」
と言ってやったら、私は融資の担当では無いので、と逃げる。
「あんたの銀行は大きいから、専売公社だって取引があるだろう。タバコを
売っている会社とは、もう取引はしませんと言ったらどうだ」
と言ったら
「だから、私は、融資担当では無いし、顧客にそんな事言えないでしょ!」
とキレるので
「顧客に言えない事を、正義ヅラしてこんな所で偉そうに言ってもらっては
困る。この人があなたにタバコの煙でも吹きかけたわけじゃあるまいし」
と怒鳴ったら、初めに糾弾された人が申し訳無さそうに取りなしてくれたが、
その日の研修が不愉快な内に終わったのは言うまでもなかった。
つまらない事を思い出したものである。
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養生 [日常]

「徒然草」に

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。
暑き頃わろき住居は、堪へがたき事なり。

とある。

風疹に罹り何日も高熱が続き、若くもない体には随分コタえたのだが、
昔と違い、今はエアコンと扇風機があるので、家の中で寝ている分には
連日の猛暑でも、その辺は楽なものである。
思い出してみると、むしろ、真冬に罹ったインフルエンザの方がよっぽど
寒くてコタえたが、幸い、風疹もインフルエンザも重症にならずに済んだ。

私はやはり寒いよりは暑い方が好きである。
高校まで青森の田舎で雪に埋もれて暮らしていたので、私はもう勘弁と思って
いるけれど、もし兼好法師が京でなく、青森に暮らしていたら、
冬はいかなる所にも住まる。
なんてサラッと書いたかしらん、と意地悪く考えたりした。

私が高熱で床に就いている間、妹があれこれ用事を足してくれた。
脱水症状にならぬ様、ポカリスエットを切らさずに買っておいてくれたので、
点滴代わりにポカリばかり飲んでいたら、案外、やつれずに済んだ。

先ほど妹が青森に帰って行ったので、これからは独りで来週からきちんと
出勤出来る様、養生せねばならぬ。
タグ:徒然草
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病気 [日常]

どこで貰ったのか、風疹に罹り土曜からずっと寝込んでいた。
独り者のおっさんの風疹は大変ツラい。
自分が高熱で、今週の東京はずっと真夏日猛暑日だから、体にコタえる。

私の母が6月末に目の手術をし、安静にしなければならぬので、田名部にいる妹が
週に何度か青森まで出てきているのだが、私が実家に電話したらちょうど妹が出た。
「いま風疹で寝込んでいる」と言ったら大変驚いていたが、母に懇願され、東京の私の
家まで看病に来てもらっている。

妹は子供の頃、風疹に罹ったそうだが、兄の私は記憶に無い。
田名部から東京に出て来いと私が直接頼めば断っただろうが、母に頼まれたら仕方が
なく、また、青森からであれば新幹線にすぐに乗れるので、暑いところをお越し願った。
交通費は無論、私が出すが、独りで野垂れ死に状態に比べれば何て事はない。

医者からは今週は出勤まかりならぬと厳命され、課長にもそう報告したのであるが、
なにしろ急な事で、同僚には大変に迷惑を掛けている。
私の相役にお詫びのメールをしたが、返信がないから、さぞ不愉快に違いない。
「徒然草」の「友とするに悪きもの」の中の「病なく身つよき人」とあるのを思い出した。

私自身も、これまで骨折だの、体にメスを入れるだの、そういう病気が無かったから、
「悪きもの」の方であったという自覚はあるが、最近の会社は冗員を抱えておかないので
私の様なヒラでも急に休むと困る事が多いが、課長にしろ同僚にしろ、こういう場合に
冷ややかな反応をされると、治っても出勤したくなくなってしまう。
昔の人に「入院から復職したら机が無かった」などという話を聞いた事があるが、今だって
似た様な事は私の知らない所でどっさりあるのに違いない。
何とも嫌な話だが。

ひと頃より、だいぶ良くなって来たから、とりあえず書いておいたが、治って、読み返してみて
気に入らないと消すかも知れない(笑)。
タグ:徒然草
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